2016-03-29 第190回国会 参議院 外交防衛委員会 第9号
この場所は、戦後、ドイツ、フランスの和解の橋渡しとなった場所で、四千人のドイツ人と二千人のフランス人、その中には、ドイツのアデナウアー首相、フランスのシューマン外相等も出席をされた、その和解の場所での話であります。読み上げます。どんな過ちがあっても他人を責めない。ここには、ごめんなさい、私が悪かったとありがとうという言葉しかなかった。
この場所は、戦後、ドイツ、フランスの和解の橋渡しとなった場所で、四千人のドイツ人と二千人のフランス人、その中には、ドイツのアデナウアー首相、フランスのシューマン外相等も出席をされた、その和解の場所での話であります。読み上げます。どんな過ちがあっても他人を責めない。ここには、ごめんなさい、私が悪かったとありがとうという言葉しかなかった。
これは、実は東ドイツ、西ドイツのときに、西ドイツのアデナウアー首相が東ドイツの天気予報を流し続けているんですね。西ドイツの人たちに東ドイツもドイツ、我々の統一ドイツというか、そういう意識をこれは持たせたという意味では非常に大きい効果があったというふうに言われているのでありますけれども。
それは、確かにシュメルターさんがおっしゃったように、アデナウアー首相とドゴール大統領によってできました。この二人、ドゴールもアデナウアーも一次世界大戦、二次世界大戦を両方とも経験したことがあったんですね。二人とも、二度と三度と同じような戦争が起こらないように違うような仏独関係をつくらなければならない、違うようなヨーロッパをつくらなければならないというような考えでした。
私はたまたま、ちょうど一九六〇年代の初めにフランスにおりましたけれども、当時のドゴール大統領とアデナウアー首相との間で、独仏の和解を図る、そしてその上に新しい欧州を構築するという努力が、懸命な努力がなされたのを目の当たりにしております。
大阪というのは、通産省の出身の赤間文三という知事さんが、戦後、吉田総理とアデナウアー首相の間で話し合いが進められてマルク債というのをつくって、中小企業の町の大阪の臨海部を埋め立てて、そこで船からすぐに原材料を陸揚げして工場に入れて、製品をまた輸出するというシステムをやったために、大変重厚長大型の産業も大阪府に生まれた。
西ドイツにおきましての住宅問題を議案に出したときの、アデナウアー首相でございましたか、そのすばらしい演説。あるいはイギリスで戦後アトリー首相が住宅政策を中心といたしまして福祉国家をつくっていったというそのときの議会での演説というのは、これはもう皆さん御承知のとおりだと思います。
○小野委員 西ドイツのアデナウアー首相は、第二次世界大戦の敗戦の時点で、ケルンの瓦れきの上に立って、すべてを住宅建設と訴えて、西ドイツの復興の中の重点的な政策の一つに住宅を設定いたしました。 一九三四年、ルーズベルト大統領はあのニューディール政策の中で、国民の三分の一が貧しい衣食住の中に生活するということは正義の原則に反する、こう訴えました。
○中尾国務大臣 委員御指摘のアデナウアー首相にいたしましても、あるいはルーズベルトのニューディールではございませんがその政策にいたしましても、私も承知しております。言うなれば人間の尊厳を認めるということはまず衣食住から、なかんずく自分の住む家からというそのスローガンも知っておるつもりでございます。
そのドイツでは、当時のアデナウアー首相が、戦争犠牲者の扶助に関する法律、捕虜の親族の扶養補助に関する法律、帰還捕虜に対する援助に関する法律など、一連の捕虜になった方々の補償に関する法律をつくって、相当の手厚い対策をしておるのです。これを一々読み上げるともう時間がありませんので、そこは政府のことですから資料を持っておると思います。読み上げません。
当時のアデナウアー首相は、この法案が在独高等弁務官府から拒否にあったとき、総理大臣の職を賭して救済に当たっておるではありませんか。 要するに、軍籍になかった者が救われていないではないか。このことについて政府はどう考えておるか。時間もあとわずかですから簡潔にお答えください。
当時アデナウアー首相は、非常な不満を米国に表明いたしました。西ドイツは、その後、この新しい東西平和共存の世界の潮流に同調すべく努力を続け、今日ではヨーロッパの国境の現状凍結を是認して、周辺諸国及び全世界に安心感を与え、ことしの秋には、西独、東独同時の国連加入がうわさされるに至っております。
最近聞いた話ですが、アデナウアー首相が東京へ来て、そうして国会で歓迎を受けた帰りかその前の日か知らぬけれども、帰り道に、東京というところはひどいところだな、バタやと同じだなという形容詞、ドイツ語で何と、言ったか知りませんが、バタヤ部落の連続だ。いまなるほどあそこも溜池から青山向こうをずっと広げていますが、あれからずっと行くとそのとおりです。
また、これに先立ち、イギリスではマクミラン首相去ってヒューム首相となり、西独はアデナウアー首相にかわってエアハルト首相となるという、各国指導者の大幅交代が見られました。
西独の当時のアデナウアー首相は、全国民に半旗を掲げさして、そして放送局の陽気な番組はやめてくれと、ここまでやっておるじゃありませんか。口を開けば、諸外国の大政治家と肩を並べておるという池田さんが、人つくりなんかと言う前に、もっと人間の生命を尊重したらどうか。西独と日本と比べる場合に、あまりにも違った人間性じゃございませんか。きのうもきょうも総理大臣を要求しておるけれども来ない。
なお、西独の場合は一九四九年十二月の米独経済協力協定及び一九五一年三月のアデナウアー首相と米英仏三国高等弁務官との交換書簡におきまして「西独に対する援助が米国の請求権を構成する」こと及び「西独は援助が原則として債務であることを認める」旨が述べられておりますが、これはわが国と異なり西独においては終戦後の数年間中央政府が存在しておらず、援助は直接米軍から地方自治体等に対して提供されたため、一九四九年九月
ことに西ドイツのアデナウアー首相が言った、その国境をオーデル、ナイセの線できめようなどということは、これは再検討をするのだというような問題、これが非常に周囲の国々を刺激しておる。ここにドイツ問題、ベルリン問題のむずかしさがある。東西両ドイツの統合ということは、理論としてはみんなこれはある程度認めても、感情的には、あるいは政治的にはこれを認めることができない。
○政府委員(奥野誠亮君) 当初は吉田元総理が心配をされまして、単にアメリカで外債を発行するだけじゃなしに、ヨーロッパにおいても外債を発行する、そうすることによって経済的な連携を強めていくべきじゃないだろうかというふうなことから総理とアデナウアー首相との問で話が始まった問題でございます。
私は余談でございまするが、アデナウアー首相が参りました。そうして京都、大阪辺を旅行して農家へ行ってみたそうであります。日本の農家は非常にいいじゃないか。農村の問題はないだろう。こういうことをアデナウアー自身が申します。それはあなたの行かれたところは兼業農家だからいい。いわゆるドイツの日曜農家ほどじゃないが兼業農家だからいい。
大阪府、市はかねてから外債によってこの仕事をしたいという意向がございまして、先般アデナウアー首相が日本へ来られましたときにそういう話が出ましたから、向こうでそういう計画についての応援なら一応考えようという程度のお話だったそうでございますが、その後、この問題についてドイツは応ずる用意ありという返答をいただきましたので、それではわれわれとしてこの際ドイツからの外債によって計画を実現しようというのがいきさつでございます
そこで一体、西ドイツ——私は先般西ドイツのアデナウアー首相八十五才の誕生日にお招きを受けて参りましたが、西ドイツなどにおきましては、一体日本のような、日本の総評のやるような——今度も御承知の通り、春闘をやる。国会をまた、十万人で取り囲もうというスケジュールもできておると聞いておりますが、こういうような政治ストをやるようなことが、西ドイツ等では行なわれておるかどうか、その点を伺いたいと思います。
それからアデナウアー首相の演説によりますと、ソ連の飛行機は西ドイツ、アメリカ本土の上空を飛行しておる、かつて故ダレス長官が、自分に向かって、ソ連はアメリカの空中写真のりっぱなものを持っておる、私の方はなかなかそれをとることが困難である、こういうことを言ったといわれておりますので、もし今の森島先生のおっしゃるようなスパイ問題を今ここで論ずるならば、ソ連こそスパイの元祖でありまして、それは最も能率的なスパイ